前回は、1人で頑張る前に、をみてみました。
今回は、自由な人、をみてみます。
私は何か自由がとっても好きみたいで、いつも自由を求めているような気がします。
いつもどこかに不自由を感じているのか、あるいはある程度の自由を感じていながら更に自由になりたいと願っているのか、これまでの自分の軌跡を振り返ってみてもそんな感じがあります。
なので逆に言うと、不自由なのはとても嫌なんですね。
自由・不自由にはとても敏感なんだと思います。
人との関係においても、自分も相手も出来るだけ自由でいられるような関係が好きです。
べったりと四六時中くっついているのではなく、適度な丁度良い距離感があると良いです。
お金とか役職なんかより自由であることの方が私にとっては格段に重要なようです。
そして、「この人、自由に生きてるな」と感じる人や自由な発想や表現に触れるとても惹かれます。
自分より自由な人と一緒にいると、とても楽にいられたり、リラックスできたり、安心できたりします。
逆に、自分より自由じゃない人と一緒にいると、どこか窮屈だったり、息が詰まりそうだったり、安心できないような感覚を感じることがあります。
自分より自由な人と話していると、自分のことをそのまま受け止めて認めてくれたり、それでも良いしあれでも良いしと、色んな可能性や選択肢があることを感じさせてくれたりします。
自分より自由じゃない人と話していると、「そうじゃなくて、こうするもんだ」「いつまでもそれではいけない」というように認めてもらえない感じがあったり、何をするにもとっても大変そうなニュアンスがついて回っていたりします。
いつも自由でいると、体も心も柔らかくいられるし、自由でない感覚が強いといつもどこかが緊張しています。
その分、知らず知らずの間にとっても疲れちゃってます。
また、注意深く聞いていると、使っている言葉にも随分違いがありますね。
「それも良いね、その他にこういうのもあるよ。」
「こうやってうまく行った人もいるね。」
と、まずは現在の状態をそのまま受け止めて、その後でソフトに提案してくれたり、成功事例をシェアしてくれたりします。
自分が自由じゃないと、
「こうした方が良いよ。」
「そんなのダメだ。」
「なんでこうしないの。」
と断定的で、いつも狭く小さい判断の中にいる感じがあったりします。
そして、それらの言葉が出て来る時に感じているもの、感情や気分も自ずと違ったものになっているでしょう。
自由でいると、ゆとりと共に安定的に肯定的な気分でいられるでしょうし、自由じゃないと、焦りや不安、心配などが自分の中の多くを占めてしまっているかもしれません。
自由な人に触れてその人の自由な世界を垣間見られてうれしくなるのはとっても良いですが、自由じゃない人に触れて自分もその人の窮屈な世界に落ち込んで行かなくても良いですね。
境界線をしっかり持って、自分に取り入れたいものとそうでないものを意識的に選択することで、自動的に自分も窮屈な世界に落ち込んでしまうということにはなりません。
もちろん、良い悪いではないので、それぞれのプロセスをそれぞれのペースで歩んでいるという風にみるなら、何も判断する必要はないでしょう。
シンプルにすると、欲しいものはちゃんと受け取って、要らないものは受け取らないという感じでしょうか。
そうであるなら、自分より自由な人に触れる機会を多く持てることは、やはり大きな喜びだなと感じます。
ただ、自分が自由を怖がっている時には、自分より自由な人に触れると怖さが出て来るので、知らぬ間に避けているということもありますね。
「自由を求めながら、自由を恐れている」という状態があります。
私にもそういう傾向がとても強い時期がありましたし、今でもそういう面がいくらかはあるように思いますが、そうであるからこそ、自由な人に触れて、もっと自由を感じられる可能性やその心地良さに触れること、そして今自分がそう感じられていることをうれしく思えたりします。
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